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美女塚山荘

静かな山の中にたたずむ和風ペンションです。海と漁火、自慢の郷土料理をお楽しみください。


美女塚茶屋

近海で採れた新鮮な魚介類や飼育している鶏を使ったぜいたくな御膳、郷土料理をお楽しみいただけます。 


楽天トラベルからも予約できます。


 



 


 対馬異聞 美女塚異聞


たいそう昔の話です…。

村の阿比留の家に、鶴という、それは大変美しく、そして賢く親思いの娘がおりました。その評判は

村々を越え、ついには、はるか遠くの都まで届きました。それゆえ当時の島役人に命じ、鶴を宮中の

采女(女官)として召し出すように、申し付けたのでした。

 鶴の父はすでに亡く、母を残して家を出ることなど思いもしないことであり、何よりも、生まれ育

ったこの村をこよなく愛していました。

何とか断ってくれるよう母に頼みましたが、母は「不憫なことはわかっているが、お断りすることな

ど叶うはずもない…。天子様のご命令と同じだからね…。私もどれほどつらいことか…。どうか辛抱

して行っておくれ…」と言うしかありませんでした。

 鶴にしてみれば、これほど悲しいことはありませんでしたので、なす術もなく、涙に明け暮れる日

々となりました。

 そんな鶴のうわさは、やまわろうとかおーら達にも伝わってきました。

みんなは、「俺達にとって、鶴さんは特別だった。たいそうお世話になった。何とかご恩返しに何か

役には立てないものだろうか」。

やまわろうのゲンが言う。

「鶴さんは、嵐が続き、山に食べ物が少なくなってしまったとき、こっそり山の入り口の祠まで食べ

物を何度も運んでくれたね」。

かおーらのかんたも続けて、

「…雨が降らずに川が干上がり、食べる物が何にも無くなったときに、おいらたちのために、大川の

岩の上におにぎりをたくさんつくって、置いててくれた。村も大変だったのに、鶴さんだけは、本当

に心の優しい人だったよ…」。

 みんなで思案しているうちに、ついに鶴が村を立つ日が来てしまいました。

せめて、姿を消すことのできる、村はずれまでお供をさせてもらうことしかない…ということになり、

代表して、ゲンとかんたが行くことになりました。

 すでに門の前には迎えの者が待っており、駕籠が用意されていました。奥の座敷では、母と、そし

て亡き父に別れの挨拶が行われています。

やがて鶴は、涙ながらに見送る母のもとを離れていきました。

ゲンとかんたは鶴をはさんで、駕籠の両脇につきました。彼らの姿はお供の者たちには見えません。

 いよいよ村はずれまで来たところで二人は心を合わせ、鶴に言いました…。

「鶴さん!僕らはここまでしか見送りできないけれど、優しい、優しい鶴さんのことは、みんな決し

て忘れないよ。どうぞ達者でいてください、そして、いつかまた僕らのいる村に帰ってきて下さい!…」と。

 ふたりと、そして皆の思いはしっかりと鶴の胸へ入っていきました……

ゲンとかんたは辛くてたまらなくなり、仲間のいる山と川に泣きながら帰っていきました。

 やがて村が見下ろせる山の道にさしかかったとき、鶴はお供の者に言いました。

「お願いがあります!私の村を最後に一目だけ見せて下さい」……

駕籠はとめられ、鶴は生まれ育った村、そして山や川をしみじみと見つめていましたが、突然、

「私のような、辛く不幸な思いは、これから決して誰にもさせたくありません!この村からは美人

が生まれませんように!」と叫ぶと同時に舌を噛み、自ら生命を絶ったのでした。

 母の悲しみは言葉には言い表せず、村人、そしてやまわろう、かおーら達も深い悲しみにつつま

れました。

人々も、村思い、親思いの鶴を深く哀れみ、“鶴王御前”と呼び、美女塚を建て、弔いました。

 このこと以来、村の娘たちは、顔が目立たぬように手ぬぐいで隠し、ハギレを縫い合わせてこさ

えた、みすぼらしい衣服を身にまとうようになったのです。

 これが、この地域独特の服装である「はぎとうじん」の起こりとなり、また言葉遣いも「濁し」

が入る、「豆酘方言(豆酘弁)」が出来たといわれています。

 しかしながら鶴の哀れな悲しい願いとは別に、今なおここは美女の里として知られていますが、

「豆酘美人」のいわれは、この鶴王御前の美女塚伝説が始まりと伝えられています。





山童の棲む森

 対馬南部、豆酘の周辺では昔から、山には「山童」、川には「かおーら」、そして海には「霊化」

が棲むと考えられ、人々にとり、ある意味で恐れられ、またある意味では親しまれてきた。特に、

聖地である「龍良山」を護ることが最重要であったがために、「山童」は、特別、役割の大きな存

在だった。「島」という地理的条件に加え、島内でも他地域との交流のほとんど無かった時代、

「山童」、「かおーら」、「霊化」は、自然と、そこに生きる人々の暮らしと秩序を守り続けてい

くために語り継がれてきた。




作者

 昔から語り継がれてきた民話や伝承は、現在においては、記録、伝文として残されている事は

ほとんど無く、消え行く一途になっております。この絵と物語は、郷土に語りつがれている、

「山童」「かおーら」「霊化」を自分なりにとらえ直し、人々の、また社会の今後の在り方に対

して、再考できるものになれば…との思いで取り組みました。

 無論、かろうじて郷土豆酘に残る話を後世に伝えて行きたい思いも多分にありまして、このた

び足利谷氏の助力も得、形あるものにすることができました。高齢化と少子化を迎え、将来の一

助となれば望外の喜びです。

原作と絵 阿比留 敏洋

 日本各地に伝承された説話に接するなかで、将来にむけて、社会そして人間の奥底にいつまで

も存在することの出来る貴重な題材の話が、対馬の豆酘地区周辺には多く残っていることを再発

見し、加筆編集をさせていただきました。

 阿比留敏洋氏の郷土にむけた情熱と真摯な情熱を微力ながら、後援できましたことを嬉しく思

います。

文 足利谷 淳



 


【やまわろう探訪観光コース案内】

●やまわろう探訪コース●

 ・石の祠→茶碗段→鮎もどし公園→龍良原始林→天道法師祠→美女塚山荘で昼食

  (山の安全を祈願)      (山頂付近がやまわろうの棲み家)

●りょうげ探訪コース●

 ・美女塚山荘→美女塚→豆酘崎

  (豆酘崎から神崎沖がりょうげの領域、神崎が棲み家)

●かおーら探訪コース●

 ・豆酘崎→神田川→貝吹松・神社→美女塚山荘

    (神田川一帯がかおーらの棲み家)−貝吹松は現在は枯れて無い

上記の探訪コースについては観光ガイドの相談に応じます。

詳しくは☎0920-57-1740へ



 


 


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