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神から護られる島が残す日本のふるさと
昨今の地球のサイクルの狂いにより、天変地異が各地で起こっております。
あちらこちらの景勝地が被害を被っており、残念でなりません。
対馬は神の島がゆえに、昔から地震や大雨などの天災から免れております。
昔から神さまが護ってこられた景勝地が素晴らしい形で残っております。
またシルクロードの日本の玄関口といわれる対馬には、日本の原点がたくさん詰まっている場所でもあります。
貴方も神さまに護られているこの地で、素晴らしい光景を目にしてはいかがでしょうか。
(神戸からの旅人、SHUさんより)
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美女塚山荘
美女塚茶屋は現在休業中です。
村の阿比留の家に、鶴という、それは大変美しく、そして賢く親思いの娘がおりました。その評判は村々を越え、ついには、はるか遠くの都まで届きました。それゆえ当時の島役人に命じ、鶴を宮中の采女(女官)として召し出すように、申し付けたのでした。
鶴の父はすでに亡く、母を残して家を出ることなど思いもしないことであり、何よりも、生まれ育ったこの村をこよなく愛していました。
何とか断ってくれるよう母に頼みましたが、母は「不憫なことはわかっているが、お断りすることなど叶うはずもない…。天子様のご命令と同じだからね…。私もどれほどつらいことか…。どうか辛抱して行っておくれ…」と言うしかありませんでした。
鶴にしてみれば、これほど悲しいことはありませんでしたので、なす術もなく、涙に明け暮れる日々となりました。
そんな鶴のうわさは、やまわろうとかおーら達にも伝わってきました。
みんなは、「俺達にとって、鶴さんは特別だった。たいそうお世話になった。何とかご恩返しに何か役には立てないものだろうか」。
やまわろうのゲンが言う。
「鶴さんは、嵐が続き、山に食べ物が少なくなってしまったとき、こっそり山の入り口の祠まで食べ物を何度も運んでくれたね」。
かおーらのかんたも続けて、
「…雨が降らずに川が干上がり、食べる物が何にも無くなったときに、おいらたちのために、大川の岩の上におにぎりをたくさんつくって、置いててくれた。村も大変だったのに、鶴さんだけは、本当に心の優しい人だったよ…」。
みんなで思案しているうちに、ついに鶴が村を立つ日が来てしまいました。
せめて、姿を消すことのできる、村はずれまでお供をさせてもらうことしかない…ということになり、代表して、ゲンとかんたが行くことになりました。
すでに門の前には迎えの者が待っており、駕籠が用意されていました。奥の座敷では、母と、そして亡き父に別れの挨拶が行われています。
やがて鶴は、涙ながらに見送る母のもとを離れていきました。
ゲンとかんたは鶴をはさんで、駕籠の両脇につきました。彼らの姿はお供の者たちには見えません。
いよいよ村はずれまで来たところで二人は心を合わせ、鶴に言いました…。
「鶴さん!僕らはここまでしか見送りできないけれど、優しい、優しい鶴さんのことは、みんな決して忘れないよ。どうぞ達者でいてください、そして、いつかまた僕らのいる村に帰ってきて下さい!…」と。
ふたりと、そして皆の思いはしっかりと鶴の胸へ入っていきました……
ゲンとかんたは辛くてたまらなくなり、仲間のいる山と川に泣きながら帰っていきました。
やがて村が見下ろせる山の道にさしかかったとき、鶴はお供の者に言いました。
「お願いがあります!私の村を最後に一目だけ見せて下さい」……
駕籠はとめられ、鶴は生まれ育った村、そして山や川をしみじみと見つめていましたが、突然、「私のような、辛く不幸な思いは、これから決して誰にもさせたくありません!この村からは美人が生まれませんように!」と叫ぶと同時に舌を噛み、自ら生命を絶ったのでした。
母の悲しみは言葉には言い表せず、村人、そしてやまわろう、かおーら達も深い悲しみにつつまれました。
人々も、村思い、親思いの鶴を深く哀れみ、“鶴王御前”と呼び、美女塚を建て、弔いました。
このこと以来、村の娘たちは、顔が目立たぬように手ぬぐいで隠し、ハギレを縫い合わせてこさえた、みすぼらしい衣服を身にまとうようになったのです。
これが、この地域独特の服装である「はぎとうじん」の起こりとなり、また言葉遣いも「濁し」が入る、「豆酘方言(豆酘弁)」が出来たといわれています。
しかしながら鶴の哀れな悲しい願いとは別に、今なおここは美女の里として知られていますが、「豆酘美人」のいわれは、この鶴王御前の美女塚伝説が始まりと伝えられています。 山童の棲む森
対馬南部、豆酘の周辺では昔から、山には「山童」、川には「かおーら」、そして海には「霊化」
無論、かろうじて郷土豆酘に残る話を後世に伝えて行きたい思いも多分にありまして、このた
原作と絵 阿比留 敏洋
阿比留敏洋氏の郷土にむけた情熱と真摯な情熱を微力ながら、後援できましたことを嬉しく思
文 足利谷 淳