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【テキストガイド】
豆酘(つつ)
長崎県対馬(つしま)市厳原町(いづはらまち)の一地区。2004年(平成16)3月合併によって、対馬市が誕生するまでは、下県(しもあがた)郡厳原町(ちょう)の一地区。対馬の南端に位置する。
豆酘崎は灯台のある景勝地で、付近では大型定置網漁業やブリの飼付(かいつけ)漁業が行われる。
港の北には対馬島民の信仰を集める多久頭魂(たくつだま)神社や豆酘美人の伝説をもつ美女塚がある。
[執筆者:石井泰義]
[日本大百科全書(小学館)]
豆酘
美女塚
対馬の南端の豆酘(つつ)に、美しさゆえ哀しい運命をたどった鶴王御前という女性を祀った碑があります。その哀しい伝説はこうです。 ……昔、豆酘の名家に鶴王という美しい娘がいました。賢く、親孝行な彼女の噂は都にも届き、あるとき采女として宮中に召されることになりました。しかし、年老いた母を一人残していく悲しみに耐えられず、都へと上る日、峠路で自ら花の命を断ったのです。
「美しく生まれたために、女は哀しみに会う。私の命に代えて、これからは豆酘に美女が生まれませんように…」。 末期にそんな言葉を遺した鶴王の哀しい願いにもかかわらず、豆酘にはその後も多くの美人が生まれ、美女の里として名を馳せたと伝えられています。
サンゾーロー祭り
旧正月3日午後2時、潮のひき時に、元豆酘小学校西北の乱川沿いにある雷大臣(いかつおみ)を祭る雷(いかつち)神社で、サンゾーロー祭りが行われる。
古代から伝わる独特の亀トを受け継いだ岩佐兵部氏(第69代)が、亀トを行い、天下国家の吉凶を占う神事である。
多久頭魂神社
豆酘の町中より約400m離れた山すそ に多久頭魂神社(たくずだま神社)はある。 国指定の重要文化財の梵鐘や金鼓、県指定有形文 化財の大蔵経(だいぞうきょう)などがあり、延喜帳神名帳に載っている由緒ある神社である。
旧暦の正月10日、天動神となる赤米をお守りす る神事が古式豊かに行われる。
豆酘寺門樫ぼの遺跡
厳原町南部の豆酘にある神田川の支流が、多久頭魂神社の社叢から発して渓流にそって、大小の穴蔵が転々と並んでいるのを、土地の人は「かしぼの」と呼んでいる。これは飢饉の年に、救荒食糧として樫の実を採集して、水に浸けて貯蔵した穴蔵である。
飢饉の年でも対馬で餓死者がでなかったのは、この「樫ぼの」があったからで、当時の生活様式を知る上で貴重な遺構である。
貝吹松
豊臣秀吉が朝鮮侵略の号令を出した時に、対馬藩主宗氏にも途中の補給や出兵の命が下りました。伝令はすぐさま全島に伝えられ豆酘郷でも出兵の準備におわれました。
出兵の兵を招集するのに、ほら貝を吹いて集めた所が神社入口にある赤松のふもとと言われています。それ以後この松を貝吹く松と呼ぶようになりました。
龍良山の巨樹
龍良山は、6000年以上前に西日本を中心に広がっていたシイなどの照葉樹林の生き残りで、大正12年に国の天然記念物に指定されました。なかでも板根の発達したスダジイの巨樹は見事です。
山頂からの眺望はすばらしいけど後半の行程がちょっとハード。鮎もどし自然公園の駐車場に車を置いて、低域のシイ林域(スダジイの巨樹もここにあります)を散策するだけでも楽しいですよ。
春過ぎになると植物が繁茂して、道が分かりにくくなるということなので要注意。
天道法師祠
龍良山登山口の近くに有ります。コンクリートの階段を登ると鳥居があり社殿がある。天道法師祠ともいわれている。
対馬の天童(天道)信仰は一種の太陽信仰で、天照大神の原型になるような対馬独自の祭祀から発生したものである。天道法師という超人伝説に姿を変えて中世以降伝わっている。
南部には天道山(龍良山)を中心にして、北側の麓に天道法師祠(裏八丁角)、南側の麓に天道法師塔(表八丁角)が建っている。
安徳天皇御陵墓参考地
永寿4(1185年)年、幼い安徳天皇は二位の尼と共に壇ノ浦で海の藻くずと消え去ったという歴史がある。しかし対馬の伝承では、安徳天皇は、落ちのびた九州で成人し、現在厳原町曲に住んでいる漁師(海士/海女)の祖先と共に玄海灘を渡って対馬に潜行し、その余生を過ごしたという。また天皇に関する地名伝説も数多く、内院や内山も関連があるようだ。明治以降、いろいろ検証が行われ、現在は安徳天皇御陵参考地の指定を受けている。浪漫を感じる御陵墓までの道筋には、石屋根や山野草が見られる。
銀山上神社
ここ久根田舎には、式内社に比定される古い神社「銀山上神社」や新羅の古物を蔵した寺院「福泉寺」、「安徳天皇御陵参考地」(徒歩10分)等もあり、伝説の多い里です。古い時代のロマンも感じられるところです。
久根田舎の北側端の方に銀山上神社はあります。小さい橋を渡り鳥居をくぐると苔のカーペットが出迎えてくれます。踏むとふわふわした感じがして心地よいのですが貴重な苔の絨毯ですので静かにゆっくり歩いて下さい。
神社は古めかしく永い年月を感じさせる趣のある建物です。近くに小川が流れており鳥の声も聞こえ古代と自然に触れられる最高のスポットです。
内院
内院塞ノ神のスダジイ
内院の入口の塞の神の背にあるスダジイの巨樹で幹周り6.4m堂々とした枝ぶりと根が美しい姿の良い巨樹です。
※「対馬の巨木と自然」より
納島
この島は周囲4kmの無人島で中には、女の神様と白い蛇の神様がまつられています。この島に女性が上陸すると災害が起こると恐れられているそうです。今もその言い伝えが残るナゾのある島なのです。
黄金の泉(出世の水)伝説
国境の島、対馬ではこの井戸の水を飲むと出世すると言われる伝説が今も言い伝えられている。
明治三十三年、神崎半島灯台では常駐する職員の生活上、重要な飲料水の確保のため、灯台の近くの山中に堀割井戸を造る。
この生活用水は地元採用の水汲み夫と呼ばれる人に背に負われ灯台まで運搬される。水汲み夫たちは業務の余暇を利用し、鮮魚運搬船業等の事業に進出したところ、これが大成功を収める。こうして、島内有数の実業家となったことから誰となく、灯台の水汲み夫に関わった人たちには幸運が舞い込むとかで巷ではこの井戸を「黄金の泉」と呼ぶようになった。
近年では井戸の水を飲む機会が多かった灯台勤務者や海上保安部職員が対馬勤務後、昇進したり、高い社会的地位に就いたとか。また、町長や校長・町会議員等が祈願したら、目標を成就したことから「出世の水」とも呼ばれている。
松無
下対馬南側の内院と神崎灯台の中間の松無浦と呼ばれている小さな入り江に魚雷の発射基地があった。
洞窟が4つあり、洞窟の高さ・幅は2.7メートルぐらいで奥行きは約30メートル。
この基地の任務は豆酘沖合いから東海岸にくる米軍の艦船を撃破するためであった。
内院の滝
内院には高さ30mの滝がありますが、地元の人でもめったに見に行くことがない位、険しい道のりになっているそうです。軽い気持ちで行くと危険です。地元の人に詳しく話を聞くことをお勧めします。
椎根の石屋根倉庫
石屋根倉庫は、この地方独特のもので椎根川沿いに10軒ばかりの石屋根の建物が残っている。
対馬でしか見られない珍しい建物。屋根材は大型厚石坂で、島山石と称する砂岩を使用している。これは海風の強いこの地方の
生活の知恵で風に飛ばされないようにしたものと
思われる。床は高床式で倉庫内は米・麦・
雑穀・衣類等を貯蔵している。
元寇襲来の地
文永11(1274)年10月、900隻余りに分集して来た元軍約3万3千人が襲来してきたところ、守護代宗助国以下主従80騎で戦い防戦に努めましたが、全員が討ち死にいたしました。本来の古戦場は現在の小茂田浜よりむしろ佐須川の上流地点とも言われていますが、小茂田浜神社には宗助国公を戦大明神とし、その時戦った人達の霊が祀られています。毎年11月12日(新暦)小茂田浜神社大祭が行われます。この時、名物「だんつけ餅」が店に並びます(おいしいです)。
※プリントする場合A3の用紙で139%拡大するときれいにプリントできます。